2011年5月1日(日):曇りのち雨:山野草が咲く万寿山を散策→お湯につかり、被災された方からお話をうかがう→猫と遊ぶ
■(GW東北・温泉めぐり その一からのつづき)花巻温泉から釜淵の滝や羽山神社を経て台温泉に到着。大きなホテルや旅館が並ぶ花巻温泉を見てからだといっそう風情を感じる。
説明板には台温泉の由来が以下のように綴られている(大正八年の「湯本村史」からの引用なので、理解するのには少し骨が折れる)。
「其の発見の年代詳ならずと雖も、蓋し遠く元中年間(一三八四~一三九二)なるが如し、郷村誌に依れば、往古は北湯口の山中に湧出せしが、神巫如何なる仔細にや鶏卵を湯の出口に投ぜしかば、此の谷移りてここに湧出せりという。
もと北湯口、湯本の地は温泉地帯なれども、今其の湧出を見ざるは、蓋し幾百年の間に於て其の湧出の箇所に変動あるが如し、伝うる所によれば猟夫雉子を逐ふて山深く分け入り渓谷に雲煙の立ち昇るを見恐れて逃げ帰りかくと邑人に告ぐ。将監(邑人小瀬川徳右衛門の祖なという)心に温泉なるを察し、単身山中に入り辛うじて温泉を発見し邑人と共に屡入浴せしという、今の大湯(雉子の湯ともいう・現冨手旅館)即ちこれなり。
其後寛永正保の頃(一六二四~一六四七)に至り浴場を設け浴客の多く来りしことは諸書に見ゆ所なり。
天保十年(一八三九)に至り浴場全焼し旧記鳥有に帰せり。
又、寛文年間(一六六一~一六七二)国守大膳太夫重信公此の温泉場に上御仮室(現さなぶり荘付近)、下御仮室(現楽知館付近)を建設し侍医和田玄東を従え屡入浴せしことあり。
斯くの如く南部領内の温泉中最も早く開けたるは台にして、鶯宿これに次ぎ、其の他は享保以後(一七一六~)なるが如し。
往時は七戸の外移住を許さざるの規約ありしも、天保年間より約解け、移住するもの漸く多く今は四十余戸に及び、山閣水楼のきを連ね、一ヶ年の浴客数八万人を算するに至り頗る繁栄を極む。」
ということで、台温泉はこの一帯でいち早く開け、長い歴史があることがわかる。そこで、まずはその歴史とも深い関わりがあるとされる温泉神社にお参りする。拝殿の柱にはご丁寧に「交通安全」から「延命長寿」までいろいろなご利益が明示されている。
ちなみに、台温泉旅館組合の手になる台温泉のサイト「いやしの湯 台温泉」では、以下のような伝説が紹介されている。
「1200年前の大同年中(紀元後806年ころ)坂上田村麻呂の家臣が、この地に温泉があることを聞き、将軍に征夷の疲れを癒してもらおうと、温泉に入浴することをすすめた。将軍はからだの疲れがとれたと喜び、「祈願することがある」といって、神社を修復し仏像を作り神社に安置し祭典を行ったといわれている。坂上田村麻呂が「躰癒ゆ」と言ったことから地名を「臺・ダイ」と呼ぶようになった。」
お参りのあと、「手打そば」ののぼりに引かれ、「蕎麦房かみや」で昼食をとることに。ゆったりとした座敷の落ち着いた佇まいの店で、そばの風味やのどごし、つゆ、器も素晴らしく、オススメである。14:00くらいにラストオーダーになったので、早く着いてよかった。
美味いそばで腹を満たし、14:00過ぎには予約した吉野屋旅館に着いてしまった。この旅館を選んだのは、台温泉のサイトにある旅館案内で、「気さくなご主人は山歩きの達人。時間があれば、豊かな自然の中を案内してもらえるかも」と書いてあったからだ。
表通に面した1号室に案内される。夕食までまだ時間がたっぷりあり、なにをしようかと思っていると、再びご主人があらわれ、旅館の裏の山に登れるコースを勧められた。万寿山という山で、標高は410メートル。台温泉との標高差は250メートル弱くらいか。いまの時期は、山野草がいろいろ咲いているとのこと。ちなみにご主人は手術をされてから体力がおちてしまい、最近は山には行かれてないようだ。
外はすでに小雨が降り出しているうえに、筆者もパートナーも山用の靴を履いてきたわけではないが、しばらく山歩きをしていなかったので妙にそそられるものがあり、行ってみることにした。ご主人が案内してくれたのは、駐車場わきの民家の庭先で、とても登山道の入口には見えない場所だった。その庭先を通り抜けて少し登ると、山神の石碑と祠があり、その先は山のコースらしくなる。
万寿山の頂上手前にたっている鉄塔を目指して、ジグザグの道を登っていく。道の両脇に山野草が目につくようになる。ミスミソウ、カタクリ、ショウジョウバカマ、イワウチワなどが咲いている。雨でなければもっときれいに開いているのだろうが、仕方がない。写真を撮りたいが、傘をさしているうえに、首にさげているのはこれまで山で酷使して限界の手前まできているカメラで、扱いがちと難しい。25分くらいで鉄塔に到着。かなり眺めのよい場所らしいが、今日は完全にかすんでいる。
鉄塔でひと休みして、来た道ではなく、一周して台温泉に下れるというコースに進む。だいたい60~90分くらいのコースらしい。雨が降っていてもやはり山道は気持ちいい。ところがこの道、下っていったかと思うとまた上りになり、それを繰り返すうちにちょっと不安になってくる。そして、引き返そうかと思いはじめたころ、やっと標識にぶつかった。台温泉までは残り1.6キロとあり、安心した。
標識のおかげで余裕になり、山野草をゆっくり眺めながら下ることができた。やまゆりの宿という旅館の立派な門から温泉の表通に出る。そばを食べたあとで前を通った門がコースの入口になっているとは思わなかった。
6:00過ぎに吉野屋旅館に戻る。いい汗をかいたのでさっそく温泉に入ることに。先客の男性に挨拶して、世間話をするうちに話が盛り上がった。彼は岩手の人だが、横浜で仕事をしていたことがあり、むかしの野毛のことなどいろいろ話をした。
男性の家は比較的高台にあったが、津波で一階をやられてしまい、二階のものは無事だったが、家は住める状態ではないという。避難所で奥さんと再会した話もうかがった。そして温泉からあがったあとで、男性から奥さんに横浜の人間が来ているという話が伝わったらしく、今度は女湯でお互いの連れ同士が話をすることになった。
夕食は、刺身、塩焼き、唐揚げなど海の幸を中心に、肉ときのこの蒸し焼き、別注文の松茸の土瓶蒸しなどどれも美味かった。どこかのブログで、夕食の膳をみて、もっと料金をとられるのではないかと冗談が出たみたいなことが書かれていたが、同感である。
22:00過ぎに再び温泉に入り、部屋に戻る途中で、野太い鳴き声とともに立派な猫があらわれた。旅館に猫がいると聞いて楽しみにしていた。廊下でじゃれる猫としばらく遊び、部屋に戻った。(写真は翌朝撮らせていただいたもの)
(GW東北・温泉めぐり その三につづく)