2009年9月21日(月):晴れ:峰の茶屋跡避難小屋→朝日岳の肩→朝日岳山頂
■(紅葉の那須岳 その三からのつづき)峰の茶屋跡から剣が峰の東側を巻いて朝日岳に向かう。たいした距離ではないし、高度差もトータルすると大したこともないが、道や周囲の景色が起伏や変化に富んでいてとても密度が濃い。
紅葉の那須岳 その一でも少し触れたが、剣が峰の西側は砂礫に覆われて植物はほとんど見当たらないが、東側は景観がまったく変わる。
東側の巻き道に入ると植物が目につくようになる。地図にはお花畑のマークとイワカガミ、リンドウの名前がある。イワカガミの花期は春から夏なので過ぎているが、リンドウのほうはちょうどいい時期で、たくさん咲いている。
目指すは朝日岳だが、リンドウがきれいだったので写真を並べてみた。
蜂がまだ開いていないリンドウの花びらをこじ開け、奥へともぐっていく。
ついには尻丸出しの無防備な逆立ち状態に。和ませてくれる。
株によって花や葉の色が違って見えるのは、単に生育の時期がずれているということなのか。
巻き道から朝日岳の眺め。道がこの写真を撮った場所から一気に左上まで上がっていく。拡大すると左上に小さく人の姿が見えるはず。
さてここで、朝日岳の険しい山容を眺めつつ、紅葉の那須岳 その一で触れた「高湯山」信仰について注目してみたいことがある。日本温泉文化研究会・編『温泉の文化誌 論集【温泉学Ⅰ】』(岩田書院)に収められた廣本祥己の論考「山岳信仰を支えた温泉――那須岳を例として――」の高湯山信仰に関する記述のなかで、筆者が特に興味を引かれたのが、「出羽三山信仰」とのつながりだった。
その論考によれば、江戸時代に編まれた百科事典『和漢三才図会』では、湯本口からの参詣の起点となっていた月山寺に関する記述のなかに、「新湯殿山」や「出羽羽権現を勧請す」といった表現が出てくるのだという。そこから著者は以下のような考察を加える。
「まず、那須山の奥に存在する「新湯殿山」とは、おそらく高湯山の御神体である御宝前を指している。湯殿山は、温泉の湧出する巨岩が御神体とされ、出羽三山の総奥の院として信仰を集めていた。一方、茶臼岳の山中に存在する御宝前は、赤茶けた岩場を白濁した温泉が流れている場所であり、温泉湧出地の上部に見られる巨岩が御神体とさえていた。つまり、湯殿山の御神体と御宝前は、形態が非常によく似ているのである。また、月山寺の山号は「高湯山」であり、出羽三山のうち、羽黒山の頂上に祀られていた「羽黒権現」を茶臼岳の頂上に勧請した、と書かれている。『和漢三才図会』中には記されていないが、茶臼岳は、白湯山・高湯山信仰においては「月山」と呼称されており、この別称は、現在も地元の人々の間で使用されている。この事実と『和漢三才図会』の記述を合わせると、湯本口高湯山は、茶臼岳山中に湯殿山、頂上に羽黒山を備え、茶臼岳そのものを月山とする、出羽三山を真似た新霊場として信仰を集めていたのではないか、ということが考えられる」
この考察について、まず、筆者が興味を覚えたこととは別に、単純になるほどと思うことがある。那須連山を那須五岳と呼ぶ場合には、今回登る茶臼岳、朝日岳、三本槍岳に、南月山と黒尾谷岳が加わるが、その南月山という名前が気になっていた。南月山は茶臼岳の南に位置しているので、かつて茶臼岳が月山と呼ばれていたのであれば、南月山という名前もうなずける。ささやかな疑問に対する答えが見つかった。
筆者が那須岳に登るのははじめてで、かつての御神体である御宝前については写真でしか見たことがないが、出羽三山には登ったことがある。そして筆者も、御宝前と湯殿山の御神体はよく似ていると思った。だから「出羽三山を真似た新霊場として信仰を集めていた」という考察にも頷けるものがある。
ただその場合、不思議に思うのは、その一で引用した湯本口から茶臼岳(月山)、御宝前、朝日岳(毘沙門岳)の順に登拝を行う三山掛けと、ここに書かれている「茶臼岳山中に湯殿山、頂上に羽黒山を備え、茶臼岳そのものを月山とする」という三山登拝との関係だ。
出羽三山では、羽黒山、月山、湯殿山がそれぞれ現在、過去、未来と位置づけられ、この順に登拝することで生まれ変わるとされる。月山から湯殿山に至る道程には、鉄梯子や鎖場があり、それを経て湯殿山の湯が湧き出す巨岩という御神体に登拝することにはありがたみ(ダイナミズム)がある。
もし出羽三山を真似ることに意味があるとしたら、このダイナミズムは無視しがたい気がする。高湯山信仰の三山の構成では、どのようにそんなダイナミズムを生み出していたのだろうか。
まず、「茶臼岳山中に湯殿山、頂上に羽黒山を備え、茶臼岳そのものを月山とする」という三山登拝の場合には、茶臼岳だけで完結していて(もちろん出羽三山の場合も三つの山に分かれているというわけではないが)三山という構成のダイナミズムを感じにくいように思える。
一方、湯本口から茶臼岳(月山)、御宝前、朝日岳(毘沙門岳)の順に登拝を行う三山掛けの場合には、間違いなくダイナミズムが生まれるが、気になるのはその順番だ。御神体である御宝前に登拝してからこの朝日岳に至ったときには、参詣者は一体どのような心象を得るのだろうか。
というようなことを書いているうちに、朝日岳の山頂がだいぶ近くなってきた。山頂手前の尖った峰の西側の巻き道を進む。ちなみに筆者は高所恐怖症なのでこの細い道はちょっと怖い。巻き道から振り返るとガスの向こうに先ほど越えてきたガレ場が見える。
巻き道を抜け、ガレた斜面を上りきると朝日岳の肩に出る。
朝日岳の肩に到着。ガスの向こうに山頂が見える。道標には「←熊見曽根0.3km →朝日岳0.2km」と刻まれている。広々としていて休憩によさそうだが、すぐ目の前なのでそのまま山頂に向かう。
タイミングよくガスがとれて青空になった。山頂の北側は植物に覆われて、きれいに色づいている。
山頂に到着。山頂からの展望については次の記事で。
かつての信仰登山では「毘沙門岳」の別称が用いられたという朝日岳、山頂には小さな鳥居がたっていた。
(紅葉の那須岳 その五につづく)