東鳴子温泉と鳴子温泉の神社をめぐる――GW東北・温泉めぐり その四 | 楽土慢遊

東鳴子温泉と鳴子温泉の神社をめぐる――GW東北・温泉めぐり その四

所在地:
宮城県大崎市鳴子温泉
交 通:
JR陸羽東線・鳴子温泉駅

2011年5月3日(火):晴れ:いさぜん旅館→湯殿山神社→東鳴子温泉神社→温泉神社→鳴子温泉駅→古川駅





■(GW東北・温泉めぐり その三からのつづき)いさぜん旅館でわれわれが泊まった部屋は、窓を開けると陸羽東線の線路がすぐ目の前にあるので、朝起きると、窓辺の椅子に座って通り過ぎる電車を眺めていた。

朝食をすませたあとは、荷物を置いたまま、旅館の裏手、越戸山にある湯殿山神社に向かった。イラストマップでは、鳴子御殿湯駅から徒歩30分とある。

旅館のご主人に神社のことを尋ねると、地元の方もあまり行かないらしい。地震のあとで道が陥没しているところもあるとのこと。とにかく行けるところまで行ってみることに。

山道には大量の水や土砂が流れたような跡が残っていたが、すでに乾いていたので歩くのに支障はなかった。神社の手前に展望のポイントがあり、江合川(荒雄川)や川渡温泉方向の視界が開ける。

湯殿山神社は木立のなかにひっそりとたつこじんまりとした神社だった。

この神社のいわれは、調べたことがないのでわからない。東鳴子温泉には、これから立ち寄る東鳴子温泉神社があり、そちらの方が地域との縁が深いのかもしれない。但し、鳴子御殿湯という駅名との相性は、こちらの神社のほうがよさそうに感じるのだが…。

山を下り、再び線路脇に出ると、行きには気づかなかったが、線路の向こうに桜の木が見える(この記事のトップの写真)。よく考えたら、この桜の木は、旅館の窓から眺めていたあの木だった。

旅館に戻って荷物をまとめ出発。まず旅館の目と鼻の先にある「なるみストアー」に立ち寄る。イラストマップには「東鳴子温泉のみやげもの屋といったらここ」とあるが、その言葉に偽りはない。いろいろそろっている。大栗の入った名物という「なるまん」も、竹炭を練りこんだ「くろまる」も美味かった。オススメである。

表通りを鳴子温泉方向に進む。町並が途切れたところで左手にまず鳥居が見える。写真では、鳥居をくぐるとそのまま本殿につづいているように見えるだろうが、実はその間を陸羽東線が通っている。鎌倉の円覚寺では、横須賀線が境内を横切っているが、まあそれに近い。だいぶスケールは違うが。ということで、神社の手前にある煉瓦造りの高架をくぐり、階段をあがると本殿にたどり着く。こちらもこじんまりした神社だった。

ではここで、東鳴子温泉の歴史を簡単に確認しておこう。先述したイラストマップには以下のように書かれている。

東鳴子温泉は江戸時代中期に開湯した歴史ある湯治場です。当時は鷲ノ巣、田中、赤湯(赤梅の湯)、目の湯と呼ばれ、その湯の良さで世に知られてきました。

御殿湯の由来は、仙台藩及び岩出山城主の御湯として造られ、特に、楽山公(仙台藩主・伊達慶邦)は、子供のないのを憂い、(孝子)夫人と伴い、赤湯に遊蕩して、二子をもうけたと云われています。

東鳴子温泉観光協会が作っているサイト「東鳴子温泉案内」によれば、その御殿湯は、現在の東鳴子温泉神社のあたりに位置していたという。

そのことを踏まえると、山を通して最初にお参りした湯殿山神社と東鳴子温泉神社が繋がるような気もしてくる。前者は越戸山(こえどやま)の上にあり、後者は麓にある。そうするとふたつの神社が、奥宮と里宮の関係にあるようも思えてくる。勝手な想像はこの程度にして、国道47号線を歩いてお隣の鳴子温泉に向かう。時間はたいしてかからない。

鳴子温泉の方は一大リゾート地といえばいいか、大きなホテルや高級旅館が建ち並んでいる。みやげ物屋が軒を連ねる通りを抜け、高台にある温泉神社に向かう。

境内にいたる階段は、地震の被害にあってしばらく通行止めになっていたようだ。神社の境内には奉納相撲のための土俵があった。

境内の石碑には、温泉神社の縁起が以下のように記されている。

温泉神社の創建は古く、続日本後紀に次のように記されている。「仁明天皇の御代、承和四 年(八三七)四月、鳥谷ヶ森にわかに鳴動する こと数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となつて流れた。里人は驚いて朝廷に報告した。朝廷は 温泉の神を祀り、この年十月九日從五位下を賜る」と。里人はこの湯を鳴声(なきご)の湯と称した。これが現町名鳴子(なるご)の起りである。(宮城県郷土史) また朝廷では、延喜五年(九〇五)全国の神社を調査した。その時、延喜式神明帖に登載された神社を延喜式内 社と言うが、当神社は、その延喜式内社で由緒 の深い神社である。明治七年村社に列せられ、 昭和十九年知事により、神饌幣帛料供進神社に 指定された。祭神の大己貴命は、出雲の神として親しまれる大国主命ともいわれ、少彦名命と共に縁結びの神、農耕の神、また病気治癒の医療の神として知られ、多くの人々の篤い信仰を集めてきた。

秋に行われる祭典には、近郷近在から大勢の 若者を集め、寄せ太鼓も賑々しく相撲を奉納することを常として。この相撲は「文治五年(一一八九)源頼朝が、平泉の藤原泰衡を征討した 。この時、当神社に戦勝を祈願し、ことの成就後神の御加護を謝して、部下の勇士による相撲を奉納したことに始まる」とされている。鳴子 相撲は九州の「明鳥」東京の「浅草」と並び、 日本の三大田舎相撲の一つとして有名である。

昭和十年、拝殿建立に続き昭和十九年には本殿の竣工をみた。総けやきの権現造りである。例祭には、前記勧進相撲をはじめ、全国こけし 祭りなどの特色のある行事が、町を挙げて盛大に催され、氏子だけでなく訪れる人々の大きな楽しみとなっている。

お参りをすませ、境内を囲むように咲く桜を眺め、街をぶらぶらしながら駅に向かう。あとは電車に揺られて帰るだけだ。

鳴子温泉駅は、足湯があったり、待合室もゆったりしていて設備が整っていた。立派な駅舎の向こうにそびえる山にはまだ雪が残っている。それを眺めながら、夏は絶対に山に行こうと思った。(そして実際に鳥海山に登った→鳥海山に登る その一

(GW東北・温泉めぐり 了)



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